公正な給与制度を設計し運用する

はじめに
組織の形態や大小にかかわらず、より平等な職場を作るためには、公正な給与制度を設計し、それが適正に運用されているか監督する必要があります。性別による給与格差はなかなか解消されない問題であり、実際それに関する資料や研究も多く報告されています。女性の給与が制度的に低く抑えられていることは、公平や平等の建前のなし崩しであり、経済に大きな影響を与えている可能性も指摘されています。
公正な給与制度を確立し適正に運用するには、組織で以下のような方策を検討する必要があります。
- 報酬理念を定義する。この理念が、労働にどう報いるかの指針となります。
- 給与決定プロセスを体系化し、職務に応じた報酬を設定する。職務に相応な給与を支払うことで同一労働同一賃金の実現を推し進めるなど、報酬決定の枠組みを設けます。
- 給与の平等に関する分析を実行する。報酬理念を定義し給与決定プロセスを体系化した後、徹底的な分析を定期的に実施して、給与体系が想定どおりに機能していることを確認します。

研究の紹介
両氏は、男女間の給与格差を調整前と調整後に分けて考え、調整前の給与格差が 20.7%(女性の給与は男性の給与のおよそ 80%)であることを発見しました。ただし、この調整前の給与格差には、男性より女性のほうが給与水準の低い職に就いている割合が高いなど、性別以外の変数も大いに関係している可能性があります。経験、組合加入の有無、地域などの変数も格差の要因となります。ブラウ氏とカーン氏が、これらのすべての要因を考慮に入れて算出した**調整後の給与格差は 8.4%**でした。この研究から、職業、業界、経験などさまざまな要因を考慮しても、女性は男性の 92% 程度の給与しか得られていないことがわかります。
構造や説明責任のあり方によって、組織の不公平な給与制度をいかに修正できるかを検証した研究もあります。マサチューセッツ工科大学スローン経営学大学院のエミリオ カスティーリャ氏は、長年にわたり女性やマイノリティの昇給が低く、給与格差が存在していたある組織の協力を得て長期的な研究を行いました。カスティーリャ氏の研究では、昇給を査定するマネージャーにトレーニングを施し、一貫した基準(たとえば業績評価)に基づいて昇給を決定するように指導し、賞与額についても明確な根拠を示すよう要請しました。また、マネージャーが決めた昇給案を審査する委員会を新たに設置し、問題がある場合は昇給案を修正する権限をこの委員会に付与しました。さらには、すべての部門ごとに昇給に関する年次報告書を部門長へ提出するようにしました。
その後 4 年にわたって給与データを分析したところ、性別や人種といった統計学的属性に起因する昇給差はなくなっていました。構造を強化し、説明責任と透明性を持つことによって、給与格差を是正できたのです。
報酬の理念を定義する
- 組織の目標や価値観を後押しする報酬理念を確立するにはどうしたらよいか?
- 業界や労働市場と比較して自社の報酬体系をどのように位置づけたいのか?
- 現在の報酬体系と予算で、必要な人材を獲得、維持できるか?
給与決定プロセスを体系化する
職務分析が完了したら、それらの職務の市場価値(たとえば、他の組織が同様の職務にどれくらいの給与を払っているか)を把握し、市場と比較してどれくらいの報酬を支払うかを考えます(たとえば、調査結果の 50 パーセンタイルを目標とするのは一般的な慣行です)。ここでいう「市場」とは、人材獲得競争を繰り広げる場(たとえば、同じ業界の組織、同じ地理条件の組織など)をもとに定義することができます。予算を念頭に、市場と比較してどれだけ支払いたいかを十分に検討します。
職務分析で作成した職務記述書に基づき、よく似た職務の給与相場と比較します。同じ職名でも、組織によって責任範囲が異なることを前提に比較することが重要です。たとえば、創業間もない企業の副社長の場合、5 年ほどの経験で責任範囲もそこまで大きくないかもしれません。一方、一流の多国籍企業の副社長となれば、30 年以上の経験があり管轄する組織や予算も大きいかもしれません。米国の一般的な職業に関する市場データは、米国労働省労働統計局が無料で提供しています。アンケートに基づくさらに詳細なデータは、業界団体やコンサルティング会社から入手することができます。使用できる市場データが見つからない場合は、組織でその職務に支払っている給与の中央値を使用するか、職務範囲、責任、複雑さが似ている職業の市場データを利用して調整します。
大規模な組織の多くでは、具体的な目標給与額を設け、給与幅を広く設定しています。給与幅とは、市場データに基づいて特定の職務の下限給与と上限給与を決めるもので、通常はその職務の目標給与から上下に同じパーセント幅(たとえば +/- 20%)を設定します。給与体系に目標給与額と給与幅を組み込むことで、職務ごとに一貫した給与額を設定でき、外れ値も簡単に検出することができます。
新規雇用でも、昇給査定でも、必ずこの給与体系に照らして給与を決定します。たとえば、Google の新規雇用者の報酬額は、その職務、レベル、地域に関連付けられた目標給与額をもとに設定されます。なお、前職給与について聞いたり、その情報をもとに報酬額を決定したりすることを禁止している国や地域がありますので注意してください。
給与体系を評価するときは、「すべての人に同じ額の給与を支払う」ことが給与平等ではない点に注意してください。報酬理念によっては、同じような仕事をしている人でも給与に差を付けるべき要因が存在する可能性があります。たとえば Google では、同じ職務に就いていても、業績が良い人は他の人より報酬額が上がることになっています。
賃金差分析の準備を行う
賃金差分析は複雑ですので、まず報酬理念を定義して明確な給与決定プロセスを確立し、目標給与を設定することをおすすめします。それらが完了し、組織で賃金差分析が必要だと判断したら、次の手順で準備をしてください。
- 法的な文脈を理解する。この分析を始める前に、労働問題を専門とする弁護士に相談してください。この分析には、法的に幅広い意味合いが含まれており、考慮すべき事項をすべて理解しておく必要があります。
- 何を知りたいかに応じて質問を設定する。分析によって何を知りたいかを明確に定義します。たとえば、「同じような職務に就いた新規雇用者の男女間の給与に差はないか?」のような質問を設定します。
- 報酬変数を標準化する。目標給与は職務ごとに異なるため、報酬変数を標準化することで、同じ職務での比較や、国別、地域別の比較が可能になります。たとえば次のような手順で標準化します。1. すべての報酬を 1 つの通貨に換算します。たとえば社員の大部分が日本にいる場合は、すべての報酬を日本円に換算します。2. 報酬変数を対数変換します。これにより、絶対値ではなく割合の差で報酬を比較できるようになります。
- 格差の存在や程度を確実に検出できる方法を決定する。この点は組織によって異なりますし、どの変数を対象とするかによっても変わってきます。サンプル グループの選別を始める前に、組織や分析に最適なサンプルサイズを検討してください。数十人規模の小さな組織の場合、賃金差分析を行うことは現実的ではないかもしれませんが、報酬データを検証する価値はあります。たとえば、組織に女性が 1 人しかいない場合でも、同じような職務、レベル、経験の男性の給与と比較してどの程度なのかを調べたり、何らかの制御変数を使って男性と女性の給与の平均を計算したりすることはできます。
分析に用いる変数を特定する
賃金差分析に用いる変数の選択
賃金差分析に使用できる変数の例を下図に示します。制御変数は各組織の報酬理念によって異なります。独立変数は分析で調べたいこと(この場合は「男女の賃金格差」)に関連しています。従属変数は、従業員への賃金形態(給与、賞与、株式など)に応じて異なります。
「これらの変数を考慮すると、..............この変数は..............この結果と相関性があるか?
制御変数 |
独立変数 |
従属変数 |
---|---|---|
パフォーマンス スコア |
性別 |
報酬 |
職務レベル | ||
在職期間 | ||
職務 |
比較の対象を確定したら、次は分析に用いる変数を特定します。
独立変数とは、従属変数、つまり求めている結果に対する影響力を調べるための変数です。従属変数とは、結果指標で、制御変数や独立変数の影響を受ける可能性があります。男女従業員間の賃金差分析の場合は、性別が独立変数で賃金結果(たとえば給与)が従属変数になります。
制御変数は給与に影響すべき要因であり、これらの要因は報酬理念を反映して決定されています。たとえば、報酬理念によって、職務レベルが高い人ほど給与が高くなる、または業績評価が低ければ給与が下がる、と定義されているとします。その場合は、職務レベル、業績、経験などが制御変数に含まれる可能性が考えられます。
給与格差の大きさだけに着目すると、統計的に有意でない差異を格差であると誤って認識してしまうおそれがあります。また、絶対値では為替レート、地域、職務レベルなどの影響を受けてしまうという問題は、賃金率を用いることで回避できます。
データを分析して賃金差がないか調べる
変数を選択したら分析作業を始めます。標準偏差、分散、回帰モデルなど、統計学に習熟し、分析できる人材が必要です。
- データを集め、妥当性をチェックする。良い分析には良いデータが必要です。抽出検査を行い、データに漏れや誤りがないか確認します。データが不完全な場合はその原因を把握し、それが結果にどう影響するかを見極めます。
- できるだけ似ている職務を特定する。賃金差分析は、同じような職務に就いている従業員同士を比較したい場合に効果的です。よく似た従業員のグループ化は、目標賃金を設定した際にすでに行っている場合があります(例: 営業部門の新人アナリストと金融部門の新人アナリストをグループ化する)。
- 多重共線性が存在しないか確認する。多重共線性は、2 つの制御変数に高い相関性がある場合に発生し、これによって結果が大幅に変わることがあります。たとえば、在職期間と職務レベルは相関性が高い可能性があります。組織に長く在籍していれば、それだけ経験を積んでレベルを高めていると考えられるからです。制御変数としてより重要なものを選択し、もう一方の変数は回帰分析から除外します。
- 回帰分析を実行する。賃金差分析を実施する際によく用いられる厳密な手法は、回帰モデルを使った分析です。回帰分析を行うと、複数の変数間に有意な関係があるかどうかがわかります(たとえば、性別が賃金に影響しているかどうかを、他の要素の影響を抑えつつ分析できます)。2 つの変数の相関関係を明らかにすることで、独立変数(「性別」など)に起因する賃金差と、他の変数(報酬に影響する「職務レベル」など)に起因する賃金差とを分けて考えることができます。具体的には、最小二乗法による回帰分析によって、すべての制御変数を同時に分析できます(詳しい方法については、スプレッドシートや Rを用いた計量経済学分析で分析を実行している動画をご覧ください)。まず、回帰モデルに制御変数(たとえば「職務レベル」)を入力し、次に独立変数(たとえば「性別」)、最後に従属変数(たとえば「賃金率」)を追加します。
- 有意性があるか確認する。回帰分析結果の有意性を確認することで、グループ間に統計的に有意な差があるかどうかを確認できます。有意性が認められた場合は、効果量計算を実施して差の大きさをより的確に把握し、どの変数が大きな差の主要因になっているのかを分析します。
- 分析作業が適切だったか検証する。分析手法、スプレッドシートの式やコード、分析の前提(たとえば、似ている職務をどのように定義したか)などを同僚に検証してもらいます。記述統計量(平均、分散、相関など)を確認し、それらが理に適っているかどうか(たとえば「給与額がマイナス」、「年収が 100 円」といった異常値がないか)を検証します。分析結果について他の人と話し合い、論理的に納得できるかどうかを確認することが重要です。
- 分析結果をまとめる。賃金体系がうまく機能していれば、性別や人種による賃金格差は見られないはずです。格差がある場合はその原因を調べます。設定した前提や、分析に含められなかった変数を見直し、それらが結果に影響していないか検討します。
回帰分析の出力例
回帰分析を実行すると、複数の変数間に有意な関係があるかどうかがわかります(たとえば、賃金に性別が影響しているかを、賃金に影響するはずの他の要因を制御しながら分析できます)。
これはRによる回帰分析 (最小二乗法)の出力例で、独立変数は性別、従属変数は賃金率です。またこの組織の分析では4つの制御変数(パフォーマンス スコア、職務レベル、在職期間、職務)が重要であると判断され、考慮されています。この例では、すべての制御変数を考慮すると、女性の賃金率は平均して男性よりも0.01高くなり、この数値は統計学的に有意です。
推定 賃金率の変化の割合を性別の関数として示しています。 |
標準誤差 |
t值 |
Pr(> ltl ) p値が0.05未満であるとは、95%の信頼区間で 変数が統計学的に有意であることを示します。 |
|
---|---|---|---|---|
(切片) |
0.70 |
0.01 |
0.90 |
0.37 |
性別 独立変数 |
0.01 |
0.01 |
2.31 |
0.02 |
control_1 |
0.04 |
0.01 |
0.83 |
0.41 |
control_2 |
0.02 |
0.07 |
2.74 |
0.00 |
control_3 |
0.03 |
0.01 |
1.63 |
0.11 |
control_4 |
0.01 |
0.01 |
0.86 |
0.39 |
分析結果に基づいてアクションを起こす
格差が見つかった場合は、以下の方法でさらに詳しく検証する必要があります。
弁護士に相談する。具体的に対処する前に弁護士に相談し、変更を行うための法的な文脈や要件を把握してください。
人事プロセスを確認する。定期的に確認を行い、格差が見つかったらその原因を調べます。人事プロセスが、意図したとおりに機能しているかどうかも確認してください。たとえば業績評価の客観性に確信が持てない場合は、特定の変数を含めた分析と含めない分析を実施して、業績評価や昇進に偏りがないかを確認します。人事プロセス内のすべての意思決定にも着目します。誰がどの意思決定の責任を負っているのか。意思決定に関わるトレーニング、規範、動機付けが、人々の決定にどう影響しているか。驚くような結果が出るかもしれません。たとえば、2010 年に Google が実施した分析では、昇進の機会に自ら手を挙げる女性エンジニアの割合が低いという事実が判明しました。それが原因で、男女間の昇進率に大きな差が生じていたのです。
Google では、結果に基づいて対処しました。このデータを社員に公開し、昇進の準備が整ったら積極的に手を挙げるよう促すだけでなく、査定を行ったマネージャーにも説明責任を求めることにした結果、昇進率の格差是正につながりました。
人事プロセスと同時に、給与決定プロセスを見直す良い機会でもあります。以下のような点を検討してください。
- 定義した報酬理念が、意図に反して不平等の原因になっていないか?
- 組織として、一貫性をもって給与体系を適用できているか?
- 分析前に設定した前提が、分析結果にどう影響しているか?
- 給与に影響するはずの要因(制御変数)によって説明できる不平等はないか?
意思決定者に説明責任を求めることで偏見を減らす。ほとんどの組織では、給与平等に向けた取り組みで大きな役割を果たすのが、業績の評価や給与の決定において大きな責任を担っているマネージャーです。まずは、男女間の給与平等の重要性についてマネージャーを教育し、無意識の偏見が給与決定プロセスにどう影響するかについて説明します。給与改定の時期が来るたびに、男女間の給与平等の重要性をマネージャーに再認識させ、彼らによる給与査定の適正性が審査されること、審査の結果が後日フィードバックされることを伝えます。男女別の給与データを定期的に検証する委員会を設置している組織もあります。
男女間の給与平等を実現するには、組織内の全員が長期にわたって真摯に取り組む必要があります。簡単なスプレッドシートから始めてもよいですし、最初から全社的な報酬分析を実施するのもよいでしょう。すべての組織にはその規模にかかわらず、公平で平等な職場を作る責任があるということを心に留めておいてください。